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「日本語教育学の俯瞰図」の解説と活用法─ 日本語教育と日本語教育研究の相互活性的なダイナミクスの促進をめざして ─

氏名

西口光一(日本語教育学の構造化に関するワーキンググループ座長、広島大学森戸国際高等教育学院)

キーワード

#日本語教育学

はじめに

 昨年(2022年)4月に日本語教育学の構造化に関するワーキンググループ(以下、構造化WGと略称する)が組織され、6月のWGを第1回としてほぼ毎月、日本語教育学の構造化について検討を重ねてきました。そして、2023年春にようやく検討の結果をまとめ上げることができ、3月末日に会長に「日本語教育学の構造化 ─ 日本語教育と日本語教育研究の相互活性的なダイナミクス」として報告書を提出しました。
 ここでは、構造化WGの具体的な成果となる、日本語教育学の俯瞰図(注1)を解説するとともに、具体的な活用法を紹介したいと思います。

1.日本語教育学の俯瞰図

1-1 背景 ─ 日本語教育学の構造化をめぐって
 日本語教育学とは何か、それをどのように捉えるか、またどのように整理してその特性を含みつつ全体像を示すことができるか、そして、それらと日本語教育の実践との関係はどのようになっているのか、あるいはその関係はどうあるべきか、などは、日本語教育専門家がさまざまな立場から長きにわたり議論してきたテーマです(注2)。日本語教育学の構造化は、これまでのそうした議論を踏まえて、日本語教育をめぐる研究がどのような背景や脈絡から生まれてくるのか、さまざまな日本語教育研究はどのように整理することができるか、という問いに対する現段階での一つの回答です。
 日本語教育は、それまでの日本語教育研究の豊かな成果を背景として、社会のダイナミックな変化に応じてさまざまに展開してきました。そして、日本語教育研究は、引き続き日本語教育の内容や方法に関わる日本語学や社会言語学などと関連した研究を進め、第二言語としての日本語の習得研究なども充実させながら、一方で、国内・国外での社会の変化やグローバルな社会変化に応じた新たな日本語教育の展開に対応する研究を行ってきました。また、実践研究という新たな研究分野も充実してきました。
 このようにますます外延を拡張しつつ、内的にも各領域で深化しつつある日本語教育と日本語教育研究及びそれらの相関関係を整理して図式化することはひじょうに困難です。一方で、さまざまな日本語教育研究をただ分類し整理して日本語教育学の体系として示すことは、ダイナミックな変化の只中にある日本語教育学の姿を示そうとする日本語教育学の構造化としてふさわしくないとも考えました。

1-2 活動と関心に注目した日本語教育学の俯瞰図
 そのような現状認識と判断から、構造化WGでは、日本語教育学の構造化として、日本語教育と日本語教育研究に携わる人の実際の活動や関心に注目して日本語教育学の姿を描き出すという方略を採ることとしました。その結果が、以下の日本語教育学の俯瞰図(以下、俯瞰図と略称する)です。俯瞰図では、中央に、『理念体系』で唱われている本学会の使命を「ことばと共生」という短い標語で示しています。

図1 日本語教育学の俯瞰図 ─ 実践と研究のダイナミクス

2.日本語教育学の俯瞰図の解説

2-1 3つの層
 変化し続けるダイナミクスを内包した日本語教育学の姿を描き出すために、まず、さまざまな分野の日本語教育、日本語教育が有する諸側面、日本語教育をめぐる研究的関心という3つの層を措定しました。図のAからCです。各層の趣旨は以下のようになります。

■ 日本語教育学の3つの層

A.日本語教育の諸分野
日本語教育の具体的なさまざまな分野を提示する層。いわば日本語教育の拡がりを示すものである。

B.日本語教育の諸側面
 一口に日本語教育と言っても、それには教育開発、教授活動、評価、学習者、教師、学習段 階などさまざまな側面がある。この層は、いわば日本語教育という営みのさまざまな断面を示すところとなっている。ゆえに、Aで挙げた日本語教育のいずれの分野も本層で示される諸側面を有することになる。

C.日本語教育の研究的関心
本層では、日本語教育に関わること、それに関連する諸現象、また日本語教育にまつわる諸テーマなど、研究的な関心という観点からさまざまな対象やテーマを列挙している。研究志向の日本語教育の専門家においては、本層のいずれかの括りや事項、あるいは複数の括りや事項が自身の専門分野となるだろう。

 次に、各々の層で、さまざまな事項を挙げつつ括りを設定する作業をしました。こうした作業の結果が、俯瞰図です。参考までに3つの層と括りを箇条書きにすると、以下のようになります。

■3つの層とその下での括り

      A.日本語教育の諸分野
       A1 大学等における日本語教育
       A2 各種の分野の日本語教育
       A3 海外における日本語教育

      B.日本語教育の諸側面
       B1 教育の開発と改善
       B2 教育活動
       B3 評価
       B4 学習者
       B5 教師
       B6 学習段階
       B7 ICT活用の言語教育

      C.日本語教育の研究的関心
       C1 日本語
       C2 言語
       C3 コミュニケーション
       C4 言語教育
       C5 学習と教育
       C6  制度・社会・歴史
       C7  言語の行使と機能
       C8  哲学・思想

 ただし、俯瞰図で挙げられている事項もその括りも、日本語教育学を俯瞰するという目的のためのいわば便宜的なもので、決して事項と分野を画定しようとするものではありません。

2-2 層間の関係
 具体的な日本語教育分野であるA層は、現象や対象としてより直接的に現れてくるものなので、中央部に配置するのが適当だと思われます。そして、そのA層に隣接する形で、日本語教育の諸側面を示すB層を配置しています。
 A層とB層の関係としては、A層のどの日本語教育分野であっても、B1からB7の側面と各種の事項があることを示しています。あるいは、逆方向で言うと、B層の特定の事項への関心からA層の特定の日本語教育分野をフィールドとして研究することができるというような関係も示しています。
 これに対し、C層には、コースの企画、教材・リソースの制作やLMS(学習管理システム)の開発、授業の計画と実施などの日本語教育実践のあらゆる側面の意思決定において援用される基本的な認識に関わる事項(C1からC5)から、日本語教育というものの捉え方に関わる事項(C6)や、言語活動の実態に関わる事項(C7)や、教育や言語教育や言語そのものの本質に関わる事項(C8)が含まれています。このようにC層の諸事項は、A層やB層で提示されている各種の日本語教育や日本語教育実践のさまざまな側面という実践的な部分を検討し決定したり、構想し批評し再考したりする場合の参照基盤をなすものです。ですから、C層は、A層やB層をその上に載せるような形で最も外側に配置するのがふさわしいと考えました。

3.日本語教育学の俯瞰図の活用法

3-1 俯瞰図のさまざまな活用法
 構造化WGの報告書では、以下の5つが俯瞰図の活用法として紹介されています。

 (1) 日本語教育学がどのようなものであるかを知る
 (2) 自分自身の興味・関心や知識を整理する
 (3) みんなで対話・議論する
 (4) 他者に説明する
 (5) 新たな分野を開拓する

 俯瞰図はさらに、日本語教師養成課程の教育内容や教師研修の企画を検討する際の参考資料にもなるでしょう。また、日本語教育の大学院の修士課程あるいは前期課程や専門職大学院などの教育課程の策定のための資料にもなるだろうと思います。

3-2 日本語教育の実践者・研究者である自己を振り返る
 上のようなさまざまな活用法が考えられる一方で、一日本語教育の実践者・研究者としての活用法は、自己を振り返ることです。以下、筆者自身の振り返りをしてみたいと思います。筆者自身の実践者・研究者としての活動分野や関心は実際にはもっと広範に拡がっていますが、簡略化して示すことにします。図2をご覧ください。
 図2では、黄色マーカーで、現在筆者が関わっている日本語教育分野を示しています。緑マーカー部は、筆者の研究的な関心となります。そして、赤マーカー部は、実際に研究活動を実行し論考や著書として発表している分野やテーマを表しています。言うまでもありませんが、赤マーカー部は筆者の研究的な関心でもあるので、緑マーカーも重ねるべき部分です。
 各マーカー部の相互関係について言うと、B1の中の赤マーカー部の各種テーマ(教育の構想・企画、教材や学習資材の制作、学習環境のデザイン、授業の計画と実施)の研究は、C2やC5の緑マーカー部の研究的関心(言語活動従事を可能にする知識・能力、応用言語学と言語の教育方法、言語の習得と習得支援、さまざまなタイプの学習)を土台とし、A1の黄色マーカー部(大学院進学予備教育、研究生・大学院生に対する日本語教育、短期留学生に対する日本語教育と国際共修)を実際の実践のフィールドとしながら、両者をかけ合わせて冷厳に考究することで生まれたものです。そのような結果、赤マーカー部の研究は、黄色マーカー部を具体的なフィールドとしながらも、一般性のある研究となっています。
 一方で、緑マーカー部の研究的関心の延長として、C8の「言語哲学」の研究を進めています。緑マーカー部の研究的関心は、言語哲学の考究を進めないと十分に探究することができないと考えているからです。そして、言語哲学の研究はC2やC5の緑マーカー部の研究的関心を経由して、赤マーカー部の研究にも関係しています。ただし、そうした関心からの言語哲学の研究であるとは言え、言語哲学の「深い森」に分け入ることとなり、その「森」を「開拓」すること自体が一つの大きな研究課題となりますので、言語哲学の特定テーマでの研究も進め、その成果の公表もしています。

図2 日本語教育の実践者・研究者である自己を振り返る

4.むすび

 冒頭で述べましたように、日本語教育学の構造化の作業では、さまざまな日本語教育研究を分類・整理して日本語教育学の体系を示すということはしませんでした。それよりもむしろ、日本語教育のさまざまな実践者・研究者の活動や関心に注目して日本語教育学の姿を捉え、教育実践と学術研究の相互活性的なダイナミクスを描き出すことで日本語教育学の構造化としました。

 教育実践と学術研究の相互活性化は、日本語教育の実践が一層高度化され、日本語教育の学術研究が独自の研究分野としてさらに発展していくためのカギとなります。皆さんそれぞれの中で、また皆さんの職場や研究仲間で、実践と研究の相互活性が促進され、教育実践と学術研究がますます充実していくことに、日本語教育学の構造化が一助になることができれば幸いです。

(注)
1. 日本語教育学の俯瞰図のパワーポイントファイルは、こちらにて入手可能です。適宜ご活用ください。
2. それ以前にも議論がありましたが、本格的な議論の嚆矢となったのは、本学会誌の126号(2005年刊、特集:日本語教育の実践報告 ─ 現場での知見を共有する)です。そして、それ以降の同テーマ関連の特集としては、132号(2007年刊、特集:日本語教育学とは何か)、153号(2012年刊、特集:学会誌の回顧と展望)、178号(2021年刊、特集:日本語教育学の輪郭を描く)などがあります。他に、『日本語教育学のデザイン ─ その地と図を描く』(凡人社、2015年)や、「改訂版 日本語教育学の歩き方 ─ 初学者のための研究ガイド』(大阪大学出版会、2019年)なども、同テーマを問題意識としています。